ジャニーズ問題で気づいた自分の事

ジャニーズ問題で気づいた自分の事

先日最終回を迎えた『この素晴らしき世界』というドラマ、ご覧になってましたか?

主役をやるはずだった鈴木京香さんが病気で降板され、急遽、若村麻由美さんが主役を演じることになって話題になったドラマです。

私、若村麻由美さんが大大大好きなのです!
我が青春の若村麻由美!
若村さんを見ていると二十歳の自分に戻ってしまう~。

とは一体、どういうことかというと・・・

20年以上前にNHKで放送されていたアメリカのドラマ『アリーmyラブ』ってご存じですか?
このドラマで主人公・アリーの日本語吹き替えをやられていたのが若村さんでした。
私、このドラマが大好きで、シーズン1から5まで全部見ました。
10代から20代にかけて、足掛け10年ぐらい。

私にとって若村さんは、永遠のアリー。

そんな若村さんを主役で見られるということは、もはやアリーmyラブなわけです。
嬉しい〜!

目次

悪意と無責任

このドラマは、若村さんが平凡な主婦・浜岡妙子と大女優・若菜絹代を一人二役で演じていました。
突然失踪した女優の替え玉をやることになった妙子さんの話なのですが、若村さんの天才的な演技力が堪能できて最高でした。

ドラマのテーマを簡単に言うと、芸能界の闇?
平凡な主婦(って言い方どうなのよって思うけど公式サイトに書いてあるので)が、独特の常識がまかりとおる芸能界へ片足をつっこんだことで見える「こんなのおかしいよね」ということが次々に出てくるのですが、私たちが生活する日常の世界にも「こんなのおかしいよね」ということがたくさんあって、妙子さんが行ったり来たりするうちに、少しずつ妙子さんの周りの人たちにも変化が起きる・・・という話でした。

最終回は、平凡な主婦と大女優がタッグを組み、芸能界の闇に斬り込んで勧善懲悪でスッキリ。

社会人の息子を持つ妙子さんは、大女優・若菜絹代としてテレビに出て、ある告発をします。
そして視聴者にこんな言葉を投げかけました。

私たち大人は、この世界に生きる若い人たちが希望を失わないように、
この世界に絶望しないように、できる限りのことをしなくてはなりません。

何もせずにこの世界を引き渡してゆくような無責任をきっぱりと否定しなくてはいけません。

この世界には悪意のある人間が存在します。
だけど私たちの問題は、多くの人たちがそれに気づいているのに実際には何も変えられないことの方だと思うのです。
正しさが口をつぐみ、良心が言葉を飲みこんでしまってきたこと。

私たち一人一人の個人と世界との間にある得体の知れない”何か”。
人間関係 職場 社会 学校 規則。
時にそれは 友人や家族なのかもしれない。
(中略)
そういうよくわからない”何か”に自分を合わせていく必要なんてないんです。

『この素晴らしき世界』最終回より

・・・ジャニーズやん。
って思いました。

ジャニーズ事務所のことやんけー!

しかも、ヒガシの妻・木村佳乃さんが芸能事務所社長の役で見守っている。
あかんやーん!このタイミングでこの役引き受けたらあかんやーん!!

心が痛い理由

ジャニオタの1人として、ここ数日の状況には心を痛めていました。
いや、ジャニオタの1人としてではなく、この国で生きてきた人間として。

誰もが権力に抗えなかっただけだと思うのです。
でも、その「権力に抗えなかった」ということが今、問題になっているんですよね。

1人の人間の悪意を60年以上も止めることができなかった。
今回、私が一番悲しかったのは現在26歳の被害者がいることでした。
2004年に有罪判決が出たのだから、その時に然るべき対応がなされれば絶対に防げたはずです。

スポンサー企業が次々と撤退していますが、「ジャニーズのタレントを起用すること=人権侵害に加担すること」ということで、日本でこんなに人権問題が語られるのは珍しいと思います。

私がここ数日心を痛めていたのは、推しにではなく、自分自身に対してです。
これまで40年間生きてきて、学校や職場で投げかけられてきた言葉に含まれていた多くの人権侵害に気づいてしまいました。
セクハラやパワハラを”流して”きたことは、大人の対応だと思っていたけど違いました。
それは、妙子さんの言う「何もせずにこの世界を引き渡してゆくような無責任」でした。

ジャニーズじゃない、どうってことない会社でどうってことない仕事をしていた私も、同期や後輩に対して”見て見ぬふり”どころか先輩や上司のセクハラ発言をネタにしていたこともあった。

今から思えば、笑ってる場合じゃなかったし、発言者に対して「なんでお前にそんなこと言われなあかんねん」と思ったことは正しかった。
怒ってよかったし、拒絶してよかった。
でも、できないよ。あの時代は。

じゃあ、時代が変わったらできるのか?といったら、それも無理でしょ。
時代が変わっても、年長者になっても、同じ組織の中で相手も自分も年を取って行ったら、相手との関係性は変わりません。
年を取ったからNOと言えるようになるかといったら、それは無理だ。

それを「加担」と言われる日が来るなんて、思わなかった。

みんなが傷つき、誰かを傷つけていたことに気づいてしまった。
日本は今、傷だらけなんじゃないだろうか。

「始める」という結末

ドラマの話に戻ります。
権力側の人は、最終回の冒頭で
「平等だか多様性だか知らないが、社会の役にも立たない無能な人間たちに余計な力を与え過ぎたことが問題なんだよ」。
「まだまだ我々の世代がしっかりしてないと、この国の社会はダメなんでしょうな」と話していました。
おお、デヴィ夫人みたいだ。

そして、告発された後には「お前たちは何をしでかしたかわかっているのか?」というお決まりの圧をかけました。

「わかってますよ。彼女たちは始めたんです」。

「何をだ?」

それはまだ分かりません。だって、始まったばっかりじゃないですか」。

おお。これだと思いました。
「始める」をした。
このことに意味があるってことだ。

今、起こっていることにはすべて意味があるのだ。

密かな不安

子育て中の私は、毎日、自分の発言が子どもたちに吸収されていくことが怖いなと思っています。
「宿題やりなさい」一つ取っても、時代にそぐわない言い方をしていないだろうか?と不安になります。
子どもに変な偏見を植え付けていないだろうか?不用意に傷つけていないだろうか?

私の不安には誰も気づいていないと思います。
何も考えずに言いたいことを言っていると思われているし、実際、そうです。
言った後に、ちょっと気にしている。

でも、私も間違ってるかもしれないけど、みんな間違ってると思うようになりました。
この新しい時代は始まったばかりです。

今まで正しいとされてきたことが「間違っていたかもしれない」と考えるようになって、新しく何かを始めている。
そんな私の背中をアリー、いや、若村麻由美さんの声が押してくれた気がしました。


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